好きな靴を履いて、歩く
毎日、好きな靴を履いていますか?
社会人になると、それまで当たり前に自分の頭で考えて決めていたことを、手放してしまうことがあります。
私にとって、その象徴的なものが「好きな靴を履くこと」でした。
自由になって初めて気づいた、不自由だった私のこと
会社員時代、いろんなテストを受けさせられた中に、ストレスチェックテストがありました。
時代の流れでしょうかね。
新卒の頃にはそんなのなかった気がしますが、産業医面談だの、内部告発用のフリーダイヤルの設置だの、年々ストレスに関連する企業側の施策を目にする機会が増えて行った気がします。
私自身はストレス耐性が非常に高いと思っていて、実際ストレスチェックで引っかかったことがありませんでした。
基本、どの仕事も楽しかったし、恵まれた環境だと感じていました。
会社に行きたくない、と思ったこともないような。
そんな私でも、正式に会社を辞め、自分で設立した会社に出社する一日目のこと、今でも忘れられません。
8月に設立したので、暑い暑い朝でした。
のんびりと夫と子供を見送って、食器片付けて、洗濯物干して、ささっと家を掃除。
家を出る時間も、今日から自由に決めていい。
これまでだったら考えられない、余裕のある朝。
家も片付いたし、そろそろ出るか、と玄関に向かいました。
靴を履こうとした時、暑かったからストッキングも履いておらず、素足のままだったことに気がつきました。
迷わずに、いや、実際は一瞬の逡巡があったのかもしれませんが、お気に入りの可愛いサンダルを履いて外に出ました。
たったそれだけの出来事です。
時間は、もう9時過ぎていたかな?
太陽がギラギラと照りつける夏の朝。
好きなワンピースを着て、サンダルを履いて、好きな時間に出社した。
それだけです。
それだけで心がびっくりするくらい軽くて、開放的で、どこまでも歩いて行けそうな朝。
そうか、私、好きな靴を履いて行きたかったんだ。
あの日のことを忘れられないのは、実は、そんなことでストレスを感じていたことを知ったからです。
何重にも訪れる「思考停止」の罠
この話を尊敬する起業家さんに話してみたら、
「当たり前じゃないですか!好きな靴を履いて行けないなんて、ストレスに決まってます!」
と力強く言ってくれました。
なんだか、ほっとしました(笑)
会社員時代を大まかに分けると、カフェ店長時代、メーカー時代、営業時代とあるのですが、それぞれ自分なりに自由に働いていました。
服装だって特に縛りはないところがほとんど。
でも、実は見えないルールに縛られていた。
当たり前過ぎて、決められた時間に行くことや、社会人として配慮した服装で行くことはもう私の目にはルールにすら見えなくなっていました。
高いストレス耐性は、思考停止と同義だったのかもしれません。
主体的に生きることは、難しいことではないんですよね。
子供を見ると、みんな主体的です。
成長するにつれ、いつの間にか主体性を失うようです。
学校という場所でなのか、家庭という場所でなのか。
自己肯定感を失うからなのか、思考停止して行く。
教育現場で思考停止していく現象については、堀江さんの本を読んで目からウロコが落ちました。
好きな時に、好きな人に会いに行く生き方を
東日本大震災をきっかけに、好きな時に好きな人に会いに行く、好きな場所に行く生き方をしようと決心しました。
明日、何かが起こって、ずっと繰り返されるはずの日常が途切れてしまうかもしれない。
誰かの許可を取らないとお休みにできなかったり、帰る時間を決められない生活をしていたら、会いたい人に会えないままになってしまうかもしれない。
そう思ったら、いてもたってもいられなくなりました。
好きな時に、好きな人に会いに行く。
好きな靴を履いて、歩く。
それは、主体的に生きようと決めたということです。
自分を縛る何重もの鎖は、本当にすごく強くて、切って切ってもあったりします。
すべて断ち切った思ったら、またいつのまにか縛られているんです。
今でも時折、鎖を見つけます。
見つけると、なんとかして切ります(笑)
絶対に食べて行ける道も、成功する道もないけれど。
まだまだ弱くて、すぐ自分を縛っちゃうけれど。
それすらも楽しいです。
主体的に生きること、そうであるよう努力し続けています。